私の履歴書

社内研修で得たものは?

企業は人材の育成にどれくらい関与すべきか?OJTが、人材育成に最も効果的なのは言うまでもないが、ではOJT以外の研修は、企業はどの程度サポートするのが良いのだろうか?効果と言っても、測定がそもそも難しい上に、効果の良し悪しは研修の内容によるし、…

自由なチーム運営 〜 ビジョンと価値観を共有する

僕がチームを任されたときのことは以前にこのように書いているが、もう少し多くを話してみたい。まずは、チーム運営のやり方について。日系でも外資系でも同じようだけど、チームの運営方法は完全にマネージャーに委ねられる。つまり、マネージャーである僕…

外資っぽくない縁の切り方

いきなり誤解を与えかねないタイトルですみません。しかし、一般的に外資は冷淡だと言われ、縁(人)を切るのもあっさり行うというイメージがあるようです。確かに、日系と比べれば明らかにそうだと思う。しかし、僕が前にいた日系では、社員をクビにする代…

リーダー論

みなさんが仕事の経験を積み、専門能力や判断能力を蓄え、ビジネスの結果も伴い、周囲に評価され、より大きな責任を任される。部下も何人か持つことになるだろう…。そのとき、リーダーとして何を価値観に、あるいは拠り所としてやっていきますか?会社や研修…

証券アナリスト試験

外資・日系を問わず、資産運用に関連する仕事をするのであれば、是非とっておきたい資格が証券アナリストだと思う。日本では、日本証券アナリスト協会が所管していて、合格すると名刺にCMAと記すことができる。もちろん、海外の資格CFAも日本で取得できる。…

社外専門家の活用

「私の履歴書」では、少し理念や概念的な話が続いたようなので、少し具体的な話に戻してみたい。今日は、弁護士などの専門家について。一般に外資の組織は社内専門家が少なく、社外の専門家をいかに活用できるかという別の”専門性”が要求される、と僕は思う…

誰もがリーダーである〜チームを構成する哲学

僕が1つのチームを任されたときに考えたことを話してみたい。僕にとっては、始めてのチーム・マネジメント。しかし振り返ると、緊張や不安で心身が固まる余裕は全くなく、良いと思われることを取捨選択しながら試し、その意味を理解していった。かねてから、…

社長が変わるとき

「私の履歴書」の前回記事「グローバル組織における働き方〜全体それとも部分最適?」ではグローバル組織という表現を使った。そして東京オフィスの関係を次のように振り返った。「東京オフィスが日本的というのは、東京オフィスという会社の生い立ちによる…

グローバル組織における働き方〜全体それとも部分最適?

少しおさらいをしよう。入った当時の外資系東京オフィスは前例を重んじる日本的な文化だった。過去ログ「外資系で生き残る〜提案して実行」では、小さな提案を積み重ねることで信頼に変え、新しいことへ挑戦する文化へ自らが率先したことを書いた。僕の強み…

東京拠点の強化 〜 リサーチ機能で対等を図る

前々回の私の履歴書「外資系で生き残る〜提案して実行」では、ファンド・マネージャーの仕事にはリサーチとオペレーションという2つの重要な要素があり、先手としてビジネスの土台(プラットフォーム)作りをやったことを話した。そのうちの幾つかは、グロー…

あなたの強みはローカル?グローバル?

金融業界は免許や規制が国ごとに違うので、外資系でもローカル色の強い専門家が重宝される。その人は、グローバルの専門家でもあって欲しいのだが、法律や慣習が違うと両方を兼ねるのは難しい。稀に存在しても、そんな人ばかり採用するのは不可能だ。営業職…

外資系で生き残る〜提案して実行

めでたく外資系の門を正社員としてくぐった日。広めのデスクにパーティションで区切られたワーク・スペース、肘掛の着いた大きめの椅子、フリーで飲めるコーヒー。そんな雰囲気だけで、「とうとう来た」という思いがこみ上げた。しかし、そこは仕事の場。真…

外資系への転職

これまでは日系銀行で学んだことを中心に書いてきた。実を言うと、まだ書き残しがたくさんあり、あらためてこの「私の履歴書」カテゴリーで触れていきたいと思う。何故ならば、日系銀行で会得した仕事の基礎は、僕が外資系で一暴れするときに大いに役立った…

日系銀行での仕事〜OJTと基礎研究

日系銀行では頻繁にOJT(On the Job Training)という言葉を使った。言うまでもなく、仕事をしながら知識や技能を会得する、ことである。この言葉は外資系ではあまり使われない。ある分野の仕事をできる人を採用し、最善のパフォーマンスをあげてもらうから…

日系銀行での苦労〜意思決定

『苦労』は考え方を変えれば『学び』であり『成長』の場ともなる。そういう側面をとらえつつ、過去ログ「日系銀行での基礎〜受託者責任」で述べた日系銀行について、今度は良くないと思った点を書いていこう。時計は進み、入社して7年経ったくらいの頃である…

日系銀行での基礎〜受託者責任

前回は1990年4月に日系銀行に入社したことまでを書いた。そこでは様々な経験をしたが『グローバル金融』という側面からその経験について書いてみようと思う。最初に配属となったのが証券事務部門。信託銀行の証券事務にもいろいろなものがあるが、僕は投資信…

外資系との出会い

僕が『外資系』の門をたたいたのは、実はその就職活動のときにさかのぼる。門をたたく、というと聞こえが良いが、センスの良い会社案内に引寄せられただけかもしれない。当時、丁度デリバティブが日本のマーケットでも使われ始め、それを技術的に駆使する人…

日系銀行に入るまで

これからいろいろな話題について書く前に自分のことを話してみたい。学生の頃に将来の自分の職業を決めるのは難しいと思う。今と違って大学生の就職活動は大学4年になってからだったし、サマー・インターンなどの気の効いた制度も少なかったから、専ら社会や…